返事がない。
ただのしかばねのようだ。






白馬は誰が姫を乗せる          3   無涙の再会










 新たに益州の地を治めることになった劉備は、入蜀早々変わった猛将を配下に迎えていた。
涼州ではその人ありと謳われた錦馬超である。
槍を執れば向かうところ敵なしという超人を、無論劉備たちは歓迎した。
ただ、彼には切ない過去があった。
それは彼の家の隣にある小さな墓石から読み取ることができる。





「・・・、兄を見守っていてくれ。いつの日か必ず曹操の首をお前の墓前に捧げてやるからな!」
「私も従兄上と同じ意見です。あなたの死は無駄にはしませんよ、





 あの時どうして妹と侍女を間違えたのか、馬超はわからなかった。
わからないまま、曹操の呪いと信じ込んだ。
そうすることで奴に対して更なる憎悪の炎を燃やすのだ。
人はこれを責任転嫁という。





「馬超殿、これを妹君の墓に捧げてはくれまいか」
「おぉ趙雲殿すまんな。も喜ぶだろう。あれは確か花も好きだったような気がする」
「いや、気にしないでくれ。・・・よほど愛されていたのだろうな、妹君は」





 趙雲は同僚を見つめた。
ただでさえ肉親をことごとく曹操に殺されたというのに、その上今度は妹までも。
彼自身は馬超の妹に会ったことはないが、きっとさぞかし凛として、花のように愛らしい姫君だったのだろうと想像した。
兄ほど正義に暑苦しくては敵わないが。




、俺は正義の元に曹操を倒すからな!」





 妹の悲報は、時として人を高揚させるようだ。






























 さらさらと流れる川辺を劉備とその一行は散策していた。
国の主たるもの、細部に渡るまで国を知らねばならないのだ。
民を愛する彼の支持基盤はもちろん民であり、名前だけでなく顔も覚えてほしいぐらいの勢いで国内をうろついていた。
人よりも格段に背が低かったり、碧眼紫髭だったら顔も覚えられようが、耳の大きさだけではなかなか人の記憶には残らない。






「この辺りは水が美味そうだな。とても綺麗だ・・・・・あ!?」





 ぜひとも飲んでみたいものだと川を見渡した劉備は、前方に転がっている死体に目を剥いた。
こんな所にぽつんと一体。
しかもかなり若い女性と見た。
賊に襲われてざっくり斬られたのかと思って嘆いていると、死体がむくりと身体を起こした。
そればかりかうーんと背伸びまでする。





「し、死んではいなかったのか・・・。私としたことが・・・」





 死にかけだろうが民は民である。
泥がこびりつき裾のあたりが破けた衣を纏っている少女に声をかける。
もちろん護衛がしっかりと周囲を固めているので、それなりに距離はあるが。





「もしそこのお嬢さん。大事ないか?」
「え・・・、私のこと?」





 は人がいたことに驚いた。
というか、自身の生命力の強さに感心していた。
崖から谷に真っ逆さまでよく生きていたものだ。
かなり下流まで流されているようだが、岩とか木とかに体がぶつからずに済んだようだ。
滝とかなくて本当に良かった。
はっとして目を覚ますとどこかの川岸に打ち上げられているし、もしかしてすごい強運の持ち主ではないだろうか。





「そう、そなたのことだ。見たところかなり酷い目に遭ったようだが・・・。ご両親は?」
「両親ですか、殺されましたよ」
「そうか・・・、すまぬことを聞いてしまったな」
「いえ気にしないで下さい。兄と従兄は生きてますから」





 はきょろきょろと辺りを見回した。
家はまばらに見えるが、成都の風景とは程遠そうなど田舎だった。
目の前のがっちり護衛されている男性は高位の官に就いている者のように見えるが、誰なのかは当然わからない。
ただ、ものすごく人が良さそうだった。





「あの、成都はどっちにありますか? 兄たちに会いたいんです」
「おぉ成都に。では私と共に参ろう。ちょうど帰ろうと思っていたのだ」





 劉備の粋な計らいを従者は殿と言って窘めた。
素性も知れぬ者と一緒に行くなどとんでもないと言いたいようである。
しかし劉備はこの少女を見捨てるわけにはいかなかった。
彼女だって民である。
こんなに薄汚い格好をしているが民なのだ。
兄や従兄がいる民なのだ。
劉備は困った顔をしている少女に笑いかけた。
共に参ろうともう一度誘いかけると、とびきり綺麗な笑顔で頷かれた。
これにはどうのこうの言っていた従者も黙り込む。






「どうもありがとうございます。ええっと・・・、殿?」
「はは・・・、成都はそう遠くない。ご家族の住む所まで送り届けよう」





 殿と呼ばれることに幾分か戸惑いがあるものの、ここで本名を暴露できるわけもないし、ましては気の利いた偽名も思い浮かばない。
まぁ殿でいいかと劉備は自己完結した。
徒歩では辛かろうと思い馬を用意したものの、した後で普通の子は馬に乗れないと気づく。
しかし劉備の心配は見事に裏切られ、惚れ惚れするような馬術を披露された。
供の者たちはさらに警戒を強めたようだが、少女はものともせずに乗りこなしている。





「馬の扱いに長けているのだな」
「そんなことないですよ。でもまぁ、ちっちゃい頃から周りは馬ばっかりでしたし」
「ほう、生まれはこちらではないのか? 幽州かな?」
「いえ、涼州です。故郷追い出されちゃって、それで兄と従兄再就職先探しに成都に行ったんですよ。でも途中ではぐれちゃって」





 劉備は少女の身元に疑問を覚えた。
怪しいとかではなくて、立場を置き換えれば何かに当てはまりそうな気がしたのだ。
しかしこの子のような人間は広い大陸を探せばごまんといるだろうし、迂闊に彼の名前は出せない。
それにあれだ、かの猛将は配下になる際に小さな墓石を1つくれと言ったし。
あげた墓石には2日後には妹の名前が刻まれていたというし。
幽霊に足は生えないといつぞや孔明も言っていた。





 その後も馬を歩かせ極めて和やかに談笑していると、成都の門が見えてきた。
は馬から飛び降りると劉備に頭を下げた。
偉い人にもいい人はいるものだ。
もっとも彼女は、この目の前の男性が誰なのか今になっても知らないのだが。






「ここでいいのか? 家まで送るが・・・」
「家を知らないんです。そういえば困ったな、兄上たち成都に着いてるよね・・・」





 思案に暮れていると遠くから殿、と叫ぶ声がした。
夕日に照らされつつ馬で駆けてくる2人の男がいる。
は目を凝らして馬上の人を見た。
あの馬、限りなく絶影に似ている気がする。





「おぉ劉備殿!」




 きらめくど派手な兜によく手入れされた槍。
兄上、とは低い声で呟いた。
彼女の呟きに劉備はぎょっとして、やって来る馬超を見やった。
死んだのではなかったのか彼の妹は。
そんなことを思っていると、不意には兄に向かって走り出した。
思っていたよりもずいぶんと速く。






「兄上っ!」
「ん、その声は・・・、!? 生きていたのかよ!」





 馬超はぼろぼろの格好になりながらも懸命に兄を慕って走ってくるを見て感極まった。
絶影から降りると妹に向かって、その疲れきっているであろう身体を抱き締めるべく両手を広げたまま走る。
もちろん、これは馬超の憶測及び妄想に他ならない。





! さぁ兄の腕に「誰が飛び込むか、馬鹿兄上!」






 どがっという音がして馬超が地に伏した。
上司と同僚の姿は、の目に映っていなかった。








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