マリオネットは夢を見る 2
何もしなくていい穏やかな日々が続いている。
何かをせずとも、相手が先んじてあらゆる手を打っている毎日だ。
ここにいて下さいと言われるだけで、他は何もない。
は畑の片隅に除けられた岩にちょこんと腰掛け、農耕馬の動きを眺めていた。
頴川という地に連れて来られてから、ほぼ毎日同じ一日を繰り返している。
「殿」
「荀攸様」
「そのままで結構。隣、いいですか」
彼の一族が住まう集落に連れられ、女たちに体中を洗われ、質のいい服をああでもないこうでもないと着せ替えされ、離れを案内され、そしてようやく彼の名前を知った。
荀公達といいます、ただそれだけだったが。
他に何か言ってくれるのではと黙っていたが、それきりだったので慌ててこちらも名乗りを上げたくらいだ。
何ひとつ訊かれなかった。
なぜあの場にいたのかも、素性も、興味がないのかさっぱりだった。
味気なくて拍子抜けして、少しだけ寂しかった。
「体調はどうですか」
「つつがなく過ごしています」
「不足しているものはありませんか」
「住まいも服も食べ物も、何から何までありがとうございます」
「・・・そんな言葉は俺には不要です」
会話が途切れる。今日も終わってしまった。
荀攸は感謝の言葉を常に拒絶する。
どれだけ言葉を尽くしても、彼には何も届かない。
勉学に励まなかったので、彼の心に響く言葉を見つけることができない。
今までは言葉は必要なかった。
甘い吐息を漏らすことに声を使い、気持ちを置き去りにして体を寄せてばかりいたから荀攸が何をすれば心を開いてくれるかわからない。
彼がそれを望むのであれば持ちうるすべてを使い悦ばせるつもりだが、そんな素振りは全く見せない。
命の恩人に何も報いることができない。
この人は私を助けてくれたのに。
情けなくて恥ずかしくて、顔を俯ける。
興味を抱かれることもないのであれば、ここにはいない方がいいとすら思う。
「・・・あの」
「はい」
「私はここに留まっていいんでしょうか」
「なぜ急にそのようなことを」
「なんだか居た堪れなくて・・・」
「嫌なことがありましたか? 誰かに何かされたのなら言ってください、対処します」
「いえ、そうではなくって、荀攸様が」
「俺?」
手を顎に当て思案していた荀攸が、はっとした表情に変わり岩から離れる。
常日頃からゆったりとした動きをしている荀攸が、飛び上がったように見えてびっくりする。
それほどまでに嫌だったのかと思うと悲しくなり、泣きそうになる。
嫌に決まっている。
今でこそ人前に出れる見た目に戻ったが、彼は、汚れに汚れきった醜い自分を知っているのだ。
初めに見た印象を覆すのは難しい。
どんなに綺麗に着飾っても、彼はこちらを見てくれない。
この男は、目が合うと必ず視線を逸らしてしまうのだから!
「俺が殿に不快な思いを・・・!?」
「ち、違います! どちらかといえば私が荀攸様のご不興を買っているというか」
「それはありえません。なぜなら俺は」
「俺は?」
「・・・とにかく、殿はここにいて下さい。俺自身の問題については対処します」
冷えてきました、戻りましょうと荀攸が背を向けたまま声を掛ける。
良かった、今は泣きそうなみっともない顔は見られなくない。
はゆっくり歩き始めた荀攸の長く伸びた影を踏まないよう、距離を置いて歩を進めた。
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