マリオネットは夢を見る 3
長閑な田舎で所在なさげに岩に腰掛けているだけでも、衆人の目を惹きつける人だ。
書物を紐解いてばかりだった荀家の若者たちが、を見た途端に畑仕事にも精を出すようになった。
強張った顔でたどたどしく挨拶すると、こんにちはと穏やかな笑みで見つめてもらえるとか。
彼女はまるで、天から舞い降りた仙女のようだ。
仙女の前では緊張しきって挨拶と天候の話以外は何もできない彼らは、邸に戻れば書物で得た知識を総稼働して賛辞を口にする。
はもちろん仙女などではない。
天から舞い降りたのではなく、地の底から這い出てきた。
『荀攸様のご不興を買っているというか』
正直かなり堪えた。
を今の状況に追い込んだ罪悪感で、彼女に合わせる顔が未だにない。
でれでれと締まりのない顔で接するのは礼を失すると思い、常に自らを律していた。
が物憂げな表情を浮かべていることが多いのは、今後の生活に不安を感じているからだと思っていた。
まさか、考えに考え抜いたはずのこちらの態度が原因だったとは。
嫌ってなどいない、
牢に入れられる前の僅かな時間で彼女に魅入られている。
は気付いていないかもしれないが、彼女が顔を伏せている間や遠くにいる時はずっと見つめている。
もはや本人を眼前に置かずとも、頭の中にはが住んでいる。
夢にも出てくるので、翌朝穏やかに微笑んでいる彼女を見ると申し訳なくて仕方がない。
「俺だって現実で笑顔で挨拶して微笑み返されたり下らない天気の話で微笑んでもらったりしたいのに」
「荀攸様、今よろしいですか?」
「笑ってください」
「あの、今ですか?」
「・・・・・・」
「荀攸様?」
「・・・・・・今でなくていいです」
「はい、では後ほど。荀彧様という方がおいでです」
「文若殿が!?」
と入れ替わりに荀彧が姿を現す。
あの方が噂の仙女ですかと、ここに来るまでに聞いたらしい評判を荀彧が尋ねる。
美しい方ですねと続けて言われ、荀攸は勢い良く顔を上げた。
「まさか文若殿まで殿を・・・」
「いえ、そういうつもりで言ったのではありません」
「そうですか」
「なぜ?」
「珍しい容姿の方ですが、西域の血が入っているのでしょうか。皆が天から舞い降りたと褒めそやすのも道理だなと」
「わかりません、調べていないので」
「殿は何も話さないのですか?」
「俺が何も訊けないからです」
「なぜ?」
「訊いて、俺や一族に不利益な情報が出てくれば殿を傍に置くことができなくなるので・・・」
「おやおや」
歳上の甥は、獄中に帰還してから以前よりも更に表情が乏しくなった。
心の裡を曝け出すのが怖いのか、読み取られるのを嫌うのか、ぼそぼそとした喋り方も相俟って愛想が欠落してしまった。
荀攸を見た時もの顔色はあまり良くなかった。
独り言を聞いたので辛うじて笑顔を向けていたが、その微笑みすら今にも消えてしまいそうな儚さがあった。
好いた相手にくらい、感情を出した方が良いのでは。
そう助言しようとして、まだその時ではないはずと言葉を飲み込む。
荀攸自身も自覚しているとおり、の人となりがわからない。
畑で兎と鳥に囲まれていたと言葉を交わした限りでは、一族に害をなす存在ではないように見えた。
に熱烈な視線を送っている若者たちも、これを期に天文への造詣を深めれば良いと思う。
「・・・さて、今日は公達殿に仕官のお願いに上がりました」
「わかりました、行きます」
「良いのですか?」
「曹操殿の元で献策しているのでしょう。文若殿が選んだ男です、間違いはない」
「そう言っていただけると嬉しいです。すぐにでも許昌に来ていただきたいところですが、準備もあるでしょう。私も邸など整えておきます」
「助かります。今日はこちらに泊まりますか? ぜひ一献」
「ええ、喜んで。もし良ければ殿も同席できませんか? 私も彼女の話を聞いてみたいのです」
荀攸が訊けないことは、こちらがそれとなく訊けばいい。
彼女に隠したい不穏な何かがあれば探ればよいし、何もないならないでいい。
それに、2人にはしっかりと話し合う時間と空間が必要だ。
残念ながら荀攸にその余裕があるようには見えない。
彼の手にかかれば、そのうちは泣き出してしまいそうだ。
不遇の時は終わった。
今度は、彼自身の手で安寧を掴み取ってほしかった。
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