マリオネットは夢を見る 4
人と食事を摂るのは久し振りだ。
荀家の邸では客人として饗応されていたが、招いた主であるはずの荀攸はたった一度しか席を同じくしなかった。
珍しいこともあるのだなと思いながらも、それら疑念は顔に出さずに美食を前にする。
食べないのですかと荀彧に問われ、は我に返った。
そうだった、今はもう客人の求めに応じる必要はないのだった。
自らを美食よろしく差し出す日がこの邸で訪れることはなさそうだ。
「いただきます。・・・まあ美味しい!」
「お口に合って良かった。こちらには慣れましたか?」
「はい。荀攸様のご厚意に甘えて長居してしまって、ご迷惑ではないかと」
「迷惑ではありません」
「公達殿もこう言っていますし、お気になさらず。ですがご事情を伺うに、ご家族も心配されているのでは?」
「洛陽には姉がいるはずなので、そろそろ探しに行こうかと思っています」
「いけません」
「でもお姉様もきっと私を探しています」
「洛陽は荒廃したまま、治安も乱れていると聞きます。董卓軍の残党も跋扈しているとか」
「・・・・・・」
家族を想う気持ちをぴしゃりと叩き潰す荀攸の発言に、が黙り込む。
も牢獄にいたので董卓軍の横暴は身に沁みてわかっているはずだ。
承知の上でなお家族に会いたいと願っているのなら、送り出してもよいのでは。
を大切に思うあまりに彼女を傷つけている。
荀彧は険しい表情をした荀攸の杯に酒を注ぎ足した。
ぐいと一息に岬ると、およそ女人に向けるには相応しくない据わりきった瞳をに向ける。
瞳の中のが狼狽えた表情をしていると、おそらく荀攸は気付いていない。
「今の洛陽は治めるべき主もいないため、すべての不法行為が是認される環境です。それでも殿が行きたいというのであれば俺にも考えがあります」
「荀攸様やお邸の方々にこれ以上ご迷惑はかけられません。私、ここを出ていきます」
「俺も行きます。ここを出て許昌に行きましょう」
「・・・え? 許昌?」
「許昌に向かう前に洛陽に行き殿のご家族を探し、場合によっては同道させます」
「いえ、そこまでしていただかずとも、あの、そもそも許昌とは?」
「文若殿とともに曹操殿に仕えることになりました。殿も一緒に行きます」
「公達殿、落ち着いて下さい」
「俺はまだ殿に告げなければならないことが山とあります」
だったらどうして何も話してくれないの?
の独り言は酔っ払いの耳には入らなかった。
酔っ払いの戯言は戯言として処理されず、車に揺られ街道を走っている。
起きましたか、荀攸様。
がらがらと揺れる車内で目覚めた荀攸は、目の前に飛び込んできた美しい顔立ちに叫び声を上げた。
後頭部が妙に柔らかくて暖かく心地良かったが、どうやらの膝を借りていたらしい。
ここ数年で一番目覚めの良い瞬間だった。
荀攸は慌てて起き上がると、の向かいに座り直した。
にこにこと微笑んでいるに謝罪の言葉を述べる。
お気になさらずと即答され、荀攸はそういうわけにはと抗弁した。
「客人の前での失態です」
「お疲れなのでしょう。私の膝で良ければお好きなだけどうぞ」
「妙齢の女人に対してあるまじき行為です」
「荀攸様は私が今までお会いしてきた殿方とは違うんですね。荀彧様も。私、なんだか恥ずかしいです」
「どういう意味ですか?」
無言でにっこり笑うに気圧され、それきり何も訊けなくなる。
のことは何も知らない。
洛陽で家族に会えば、彼女について少しは知ることができるのかもしれない。
だが、もし洛陽で董卓軍の残党と遭遇したら?
を投獄した武人と再会したら?
彼がを求め、もまた男についていくと言い出したら?
今日はと2人きりで、派手な荒事は勘弁願いたい。
武力でもって制圧されようとしても、抗し得る力はこちらにはない。
を大人しく差し出すしかない。
だから行きたくなかった。
すべて有耶無耶にしておけば、をずっと手元に留めておくことができるから。
「・・・その、昨日は突然すみませんでした」
「許昌のことですか? 私なんかがご一緒していいんでしょうか」
「殿が良ければ、ぜひ」
「では、荀攸様が私の新しい飼い主・・・じゃなくて、主になるんですね」
「・・・はい?」
「荀攸様のお役に立てるよう、精一杯お勤めいたします」
お姉様に報告する内容が増えました。
嬉しげに意味がわからない決意表明をするに何から質せばいいのか、酔いが抜け切らない荀攸は選べなかった。
Back Next
分岐に戻る