マリオネットは夢を見る     5




 洛陽は焼け野原だった。
住まいを奪われ焼け出された人々が懸命に復興に向け動いているが、統率する者がいなければそれらは遅々として進まない。
荀攸は燃え滓しか残っていないかつての邸宅跡で佇んでいるを、少し離れたところから見守っていた。
の元の主は王允だった。
王允は呂布が董卓を弑したすぐ後、董卓子飼いの将に殺されたと聞く。
その事実を知っていても、には伝えていなかった。
が何者なのか、ここに来るまで彼女は何も話さなかったのだから。
主を殺されていたは何を思っているのだろう。
彼女が語る姉とは、ひょっとしてあの舞姫だろうか。
そうとしか考えられない。
が牢で何も語らなかった理由がわかった気がした。
なりに王允と貂蝉の命を懸けた策を潰えさせまいと行動していたのだ。
陽の光も差さない、陰鬱な地下牢でたった独りで。



「荀攸様」
「はい」
「お姉様はここにはいません。私、お姉様に会いに行きます」
「当てはあるのですか? 失礼ながら、殿の姉君というのは」
「貂蝉と呼ばれています。私よりもうんと美しくてうんと頭が良くて、呂布殿と董卓の仲を裂くに至らしめた素晴らしいお姉様です」
「彼女は呂布と共にいるのでは?」
「いいえ、いいえ、いるものですか。呂布殿は董卓を消すために必要だっただけ。お姉様の務めはもう終わっています」



 荀攸様はやっぱりとってもお優しくて、私はやっぱり恥ずかしいです。
ふふと口元を緩め微笑むの目は、荀攸ではなく彼の周りに散らばる瓦礫を映していた。





























 まさか、出仕を拒んだどころか牢に囚われていた男がかの有名な貂蝉と言葉を交わす日が来るとは思いもしなかった。
の予測通り、貂蝉は呂布に帯同していなかった。
養父を亡くし呂布とも離れ行き場を失ったはずの彼女は、舞姫として培った脚力を活かし今や立派な農婦として畑に咲き誇っている。
お父様は様々なことを教えてくれたのですよと貂蝉は朗らかに笑ってみせるが、彼女の変貌にはついていけない。
どんなお姉様も素敵ですと畑を荒らしに来た狼を撫で回しながら満面の笑みを見せるにも、狼が牙を剥いているので近付けない。
お姉様はあの辺りにいるそうですと洛陽でが野犬や鳥に尋ねていたあたりから、荀攸は思案することを放棄していた。
は獣の言葉がわかるらしい。
嘘か本当か、確かめようはないが確かにその場に貂蝉はいた。
荀家の若者たちが噂したように、は本物の仙女なのかもしれない。



「それで、あなたがの新しい主ですか。ええと・・・」
「荀攸様です。牢に囚われていた私を助けて下さって、それからの間は面倒を見ていただいています」
「そう・・・」
「元はといえば、俺が先に殿を巻き込んでしまったので」
「それはもちろんそうです、今でも許せません。あなたの立ち回りのせいでがどんなに辛い目に遭ったか」
「お姉様、私はこのとおり元気なので。お姉様こそお一人で寂しくありませんか?」
「私は大丈夫。でも、あなたはそれでいいの? お父様が亡くなったのだから好きなように生きていいのよ」
「荀攸様はとってもお優しいんです。今度は立派にお務めしてみせます」



 また主と呼ばれている。
主とは何だろう。務めとは何だろう。
に主人と仰ぎ見られるつもりは微塵もない。
とはこれからも一緒にいたいだけで、立場に区別をつけるつもりはまったくない。
貂蝉がじいとこちらを見つめている。
その瞳は何か言いたげで、には聞かせたくない話の類だろうと推察する。
ともすれば悪女とも蔑まれる貂蝉は、妹にはひたすらに甘い。
妹が立て続けに正体不明の男に連れて行かれるのが嫌で不安でしょうがないといったところか。
を前にしては、稀代の悪女もただの妹思いの姉でしかない。
荀攸は畑に屯する獣を追いかけ始めたを見届けると、貂蝉に歩み寄った。
あの子はと、貂蝉がへ視線を向けたまま口を開いた。



「私の妹ではありません。お父様の娘でもありません」
「想定通りの展開です」
「あの子はお父様が買ってきました。荀攸様はあの子を買ったのですか? を何に使うつもりなのですか」
「何、とは」
「誰かに取り入るため、あるいは弄するためにを差し出すのですか? それともご自分を慰めるため?」
「まさか、ありえない」
「どうかを大切にしてくださいませ。できないのなら、今すぐ私にを返して」
「それはできません、なぜなら」



 お姉様の畑を荒らしてはいけませんよと、畑にしゃがみ込んだが狼に言い聞かせている。
仕立てたばかりの服の裾が土で汚れているが、獣と戯れるのに夢中で自らの出で立ちにはまったく気付いていない。
牢獄でもの側にはネズミが群れていた。
噛まれたのではないかと心配で医師にも念入りに確認させたが、彼女の身に齧られた跡はなかったという。
獣はを襲わないから、は獣には心を曝け出している。
自分に対してはどうだろう。
笑ってほしいとごねればは微笑んでくれるし、膝も貸してくれた。
だが、それはこちらを「主人」だと認識しているから?
買われているから、生きるための手段として動いているだけ?
違う、そんな上辺だけの関係は望んでいない。
主になんてなりたくない。



殿には俺を好いてもらわなければならないので、貂蝉殿の元へは戻せません」
「できるのですか?」
殿の言葉を借りるなら、精一杯努めます・・・と言ったところでしょうか」
「まあ、よくご存知なのですね」



 狼に囲まれているに向かって荀攸がゆっくりと歩き出す。
遠くから見れば、互いにしゃがみ込み顔を見合わせている姿は主従の関係には見えない。
彼ならばに心を与えられるのかもしれない。
まずはを安心させるための愛嬌を身につけてほしいが。
貂蝉はと呼ぶと手を振った。
今日の夕餉は久々の馳走だ。





Back  Next

分岐に戻る