マリオネットは夢を見る     7




 が満面の笑みで隣を歩いている。
とても嬉しいです、早く行きたいですと話す足取りは軽く、荀攸はわずかに頬を緩めた。
が獣を愛していることは知ることができた。
邸での静かな会話でが話す内容は、ほとんどが路地で会った犬や猫の話だ。
路地へ入ってはいけないとそのたびに忠告しているが、は聞いているのかいないのか、次の会話でも同じように猫の話をする。
だから今日はを獣の元へ連れ出した。
薄汚れた薄暗い路地で出遭ってしまうかもしれない人の形をした獣よりも、然るべき場で然るべき管理をされた馬を見てほしい。
が望むなら馬にも乗せてやれるし、馬上の姿を見せることも吝かではない。
にかっこいいところを見せたい。
素敵ですねと言われたい、これが本音だ。



殿は馬も好きでしたか」
「はい、大好きです! 荀攸様は赤兎馬をご存知ですか? 私、赤兎馬の蹄鉄づくりをお手伝いしたことがあってその時に赤兎馬と触れたり話したりしたんですけど赤兎馬って本当にすごく賢くて強くて大きくて馬の中の馬って感じでした」
「赤兎馬の蹄鉄」
「はい! お姉様が呂布殿とお近付きになるための手段だったとか。赤兎馬は毛並みも良くて本当に赤く見えるんです。気位も高くて自分が認めた人以外は背に乗せないと文遠様に教えてもらいましたが、触るのは許してくれるようで顔を埋めたり吸ったりしてました」
「文遠殿」
「荀攸様もお会いしたことはありますよ。私たちを投獄した後もよく来てた兵です。・・・文遠様、お元気でしょうか」



 今はどこにいらっしゃるのでしょうか、荀攸様はご存知ありませんか?
笑顔をほんの少し曇らせたが足を止め、荀攸を仰ぎ見る。
これまでは名前も知らなかったので警戒や排除ができなかったが、ようやく手がかりを得ることができた。
の口からその男の名が出たことは不愉快この上なく、気を引き締めていなければ顔に感情が浮き出てきそうだ。
荀攸はを見下ろした。
知りませんと短く返すと、はそうですかとだけ答え満面の笑みに戻る。
今の彼女の興味の対象は馬で、馬以外はどうでもいいのだろう。
この調子でが興味と好奇心を向ける先をすべて奪い取り、昔を思い出さなくなればいい。
時間はたっぷりある。
荀攸は再び早口で馬について捲し立て始めたの袖を軽く引くと、目的地へ視線を動かした。
土煙と悲鳴と馬の嘶きに目を疑った。



























 許昌から郊外へ向かう車で事故が起こったらしい。
乗り込んでいた客たちは地面に投げ出され、砂まみれで蹲っている。
馬の見物どころではなくなってしまった。
荀攸は現場に駆けつけると、座り込んだまま動かない負傷者の収拾に乗り出した。
かなり早く駆けつけたと思っていたが、事態は思ったよりも落ち着いている。
砂煙の向こう側へ目を凝らすと、見知った男がてきぱきと兵たちへ指示を出している。
荀攸は男の元へ向かうと、夏侯惇殿と呼びかけた。



「おう、お前か」
「もうお越しになっていたのですか」
「孟徳がな」
「曹操殿が。さすがお早い」
「事故に巻き込まれた女を早速連れ帰った」
「・・・なるほど」
「お前はどうした」
殿・・・、邸の者と外出していたところ遭遇しました」
「その連れはどうした。この喧騒で一人で置いておくのは感心せんが」
「あっ」



 商家が雇った車も含まれていたのか、辺りを見回すとそれなりの金品も散らばっている。
ほとんどの人々は負傷者の救助に動いているが、騒動に乗じたごく僅かな不届き者の姿も見える。
どんな金品よりも美しく輝いているのはだ、彼女も不逞の輩に奪われては敵わない。
夏侯惇に場を任せ、置き去りにしてしまったを探す。
手綱を振りほどき暴れている馬の前に女が仁王立ちしている。
よしよしと宥めているようだが、狂乱の馬には何も聞こえないだろう。
このままではが馬に蹴られて死んでしまう。
は獣を好いていても、を好かない獣だっているはずだ。
の口元が小さく動く。
口の動きで言葉を読み取れるほど、まだを真正面から見つめることができていない。



殿、危ない!」
「荀攸様!?」



 ひときわ大きく嘶いた馬が、足を高く振り上げる。
すぐさま視線を馬へ戻したが口元に手を当て、ひゅうと指笛を鳴らす。
微かに音が聞こえたような、聞こえなかったような。
我を失っていた馬が落ち着きを取り戻し、に体を寄せる。
が何をしたのかわからなかった。
緊張の糸が解けたのか、よろよろと地面に崩れ落ちたに駆け寄る。
ふわりと甘い匂いが漂った気がするが、がつけている香だろうか。
出かけた際は嗅がなかったが、嫌いではない。
頭の奥がぼんやりして、体がぽかぽかと暖かくなってくる。



殿」
「だ、だめ、来ないで」
殿?」
「さ、触らないで! 離れて!」



 抱き起こそうと手を差し伸べると、鋭い声とともに払い除けられる。
それどころか、懐から取り出した布を顔面に押し当てられる。
まるで存在そのものを拒絶されているようだ。
事故に遭遇する前まではあんなに友好的だったのに、知らない間に彼女を傷つけてしまったのだろうか。
嫌われていても、今は砂埃で汚れたを救うことが先決だ。
狂乱の馬を相手にした大立ち回りを思い出したのか、体を抱き小刻みに震えているに再び手を伸ばす。
本当に、今は駄目。
目に涙をいっぱい溜めて拒絶するに、荀攸は頭を強く殴られた気分になった。





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