プロトタイプは恋をする 6
王允邸に呂布という武人が招かれるらしい。
どんな方が知っていると貂蝉に訊かれたは、ええとと答え天井を見上げた。
董卓軍の将とは聞いたことがある。
武の頂に立つとても強い男だと文遠は話していた。
壁越しの会話だったのでその時の彼がどんな表情をしていたのかわからないが、きっと、憧れの眼差しでもって話していたと思う。
なんとなく声が嬉しそうだった。
董卓軍下の兵ならそれなりに野蛮な男だろうが、憧憬の対象でもあるのならば一角の人物なのだと思う。
先日の宴で見てくれば良かったなと、今更ながらに後悔した。
「とても強い武人だと聞いたことがあります」
「見たことはある? この間の宴とか」
「すみません、宴の時は私はずっと裏庭にいたので表のことは何もわからないんです・・・」
「そうだったわ。いいえ、それで良かったの。が誰にも見つからなくて本当に良かった」
「今晩は王允様がお招きされているんですよね。お姉様も同席されるんですか?」
「ええ、そうなのだけど・・・」
貂蝉は言葉を切ると、をじいと見つめた。
は世情に疎いところがある。
董卓が帝を思うままに操る佞臣という認識はあるようだが、それだけだ。
が闇に飲み込まれないまま、すべてが終わればいい。
終わらせてしまえばいい。
お姉様と声をかけたをぎゅっと抱きしめる。
父の秘策を聞いた時から、この身を闇に投じる覚悟はできていた。
だが本当は怖い。
噂に聞く暴虐非道な董卓と呂布に身を捧げ2人の間で策に走るなど、どれだけ覚悟を決めても身体は震える。
身が裂かれるのではないかと恐ろしくてたまらない。
「ねぇ、私、本当はとても怖いわ。あなたの時はどうだった?」
「よく覚えてないです。たぶん何か飲んでいたんだと思います。痛かった気はしますけど、すぐ終わりました」
「・・・」
「お姉様、そんな顔しないでください。私は王允様に買われたから楽士見習いになれただけです。そうだ、お嫌なら代わります! 私でご満足いただけるかわからないですけど、精一杯努めます」
「いいえ、それだけは駄目。私でないといけないの。ありがとう、私の妹がで良かった」
不安げな表情のをもう一度抱きしめ、とんとんと優しく背中を叩く。
目を瞑って首に手を回してしまえば、相手が誰でも変わらないんですよ。
の愛も情も置き去りにした助言を、貂蝉は乾いた心に刻みつけた。
呂布が王允邸を訪れた翌日に王允邸は、前日と変わらない朝を迎えていた。
呂布の元へ去ったはずの貂蝉は、いつもと変わらない美しい笑顔でおはようと声をかけてくれる。
まさか呂布は姉を気に入らなかったのだろうか。
そんなはずはない、姉はすべての人物に愛されるべき世界で一番美しく優しい女だ。
だが、彼女が邸に留まっているということは次は自分の出番だろうか。
王允には拾われた恩がある。
貂蝉には何もかも劣るが、やれるだけのことはやろうという気合はある。
誰が相手でもやることは同じだ。
悲しいことに、そこだけは貂蝉よりも図太くできている自信がある。
「よ、今晩は董卓殿が邸を訪う」
「はい。董卓様のお相手は私が勤めれば良いのでしょうか」
「いや、それは貂蝉の役目じゃ」
「ええと、お姉様は呂布殿の元へ行くのでは・・・」
「そうじゃ。だが貂蝉は董卓殿にお仕えする。・・・・・・ふむ、やはりわからぬか」
「申し訳ありません」
「いや、良い。、そなたも貂蝉の助けになってくれぬか。貂蝉はこれから苦難の道を歩むじゃろう」
「もちろんです、はお姉様のお役に立てるよう尽力いたします!」
王允と姉が何と戦い出したのかはわからないが、ほんの少しでも力になれることはあるはずだ。
は覚悟を決めた表情を浮かべている貂蝉に思いきり抱きついた。
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