プロトタイプは恋をする     7




 長安に来るのは久し振りだ。
董卓が上洛してから、都の治安は日に日に悪くなっていった。
貂蝉や王允に言い聞かされ、文遠からもついぞ否定されなかった残虐非道な董卓軍の兵卒が我が物顔で美しい都をのし歩いているからだ。
だから今日は久々の外出だ。
は隣を歩く貂蝉の美しい姿に見とれながら、ふふふと笑みを零した。



「今日のはいつにも増してご機嫌ね」
「だってお姉様と一緒にお出かけできるんです。嬉しいに決まってます!」
「まあ、可愛いことを言ってくれて! お外に出るのはそんなに珍しいの?」
「お姉様がいなくなってからは、私も行動を慎むようにと王允様から言いつけを頂いたので。ですから最近はお邸の中をお散歩してばかりです」
「では張某とかいう武人とも会っていないのね。良かった」
「張遼様です。文遠様も今日は長安にいらっしゃるとか。王允様とお姉様のお役に立てないかと私なりに訊いてみたのですが、文遠様は呂布殿と行動を共にされているそうです」
「奉先様と?」



 蛮行を働くような方には見えないですけどとが呟くと、ブンと名付けられた猫も同意するかのようににゃあと鳴く。
王允邸で飢えを知ることもなく育てられている子猫は、毛並みも艶やかにすくすくと大きくなっている。
先にが保護した子犬との仲も良好なようで、よく2匹でじゃれ合って追いかけっこをしながら王允邸を警護しているらしい。
貂蝉は、の腕の中でじゃれついているブンをゆっくりと撫でた。
良い飼い主に拾われた運のいい猫だと思う。
ではなく武人の手に渡っていたら、面倒を見られることもなく猫はとうに死んでいたはずだ。



「それでお姉様、今日は私は何をすれば良いのでしょうか」
「赤兎馬という馬を知っている? 奉先様の愛馬なのだけど、蹄鉄をご用意したくて」
「せ、せ、赤兎馬! 赤兎馬に会えるんですか!? あの有名な赤兎馬に触っていいんですか!?!? 本当に!?」
「え、ええ・・・。知っているのね?」
「もちろんですとも! その名を聞いた時から、一目でいいので見てみたかったんです。いったいどれだけ大きくて立派な馬なんでしょう。まさか触れる日が来るなんて・・・」
「赤兎馬は気難しい馬で、奉先様以外は近くに寄るのも嫌うらしいの。動物に好かれやすいならと思ったのだけど、絶対に無理はしないでね」
「何がなんでもお姉様のお役に立てるよう精一杯努めます!」



 この子はどうやら、自分が赤兎馬に拒絶されるという発想をしないらしい。
犬も猫も鳥も馬も、が寄ればたちまちのうちに大人しくなる。
堰を切ったようにどこかから仕入れたらしい赤兎馬の情報を話し始めるの止まることのない口元を見つめる。
早く、彼女が行きたい場所で好きなだけ動物を愛でることができる穏やかな日々を取り戻したい。
貂蝉はからブンを受け取ると、赤兎馬が休む厩舎へと案内した。
























 雄々しい赤兎馬のすぐ側に、ひとりの若い娘が佇んでいる。
馬と美女の並びを兵たちが遠巻きに眺めているのは、馬が赤兎馬だからだ。
張遼は赤兎馬を遠巻きで眺めている人々を眺め、彼らの注目の先へ視線を向けた。
ぎょっとした。
が笑顔で赤兎馬に話しかけている。
長安に遊びに行くとは事前に聞いていたが、厩舎が遊び場とは思いもしなかった。
なんだあの美女、あれが貂蝉殿かと周囲の兵たちが囁き合っている。
どこから湧いて現れた。
赤兎馬と会話する女と、嫌がらない赤兎馬の光景に現場がざわつく。
まずい。このままでは赤兎馬から離れた瞬間にが不審な女として捕まってしまう。
張遼は厩舎の裏へ回ると、殿と呼びかけた。
赤兎馬の蹄の形を取っていたらしいが顔を上げ、声の主を探している。
あの人は知り合いなの、
ではない第二の美女、正真正銘の貂蝉が厩舎の裏を指し示す。
文遠様?
の怪訝な声を聞いた瞬間、貂蝉の表情が曇る。
どうやら警戒されているらしい。
そも、なぜと貂蝉が一緒にいるの理解が追いつかない。



「えと、文遠様ですよね?」
「よもや私の顔を忘れてしまったのか・・・?」
「あ、そうではなくて、ここがちょっと薄暗くてお顔がよく見えなくて。でも声は文遠様です」
「ここで何をしている? 赤兎馬に何をした?」
「蹄鉄を呂布殿に差し上げたくて」
殿が?」
「いえ、おね・・・私の知人がぜひにと。私が赤兎馬に一目会いたいと常から言っていたので、手伝わせてもらったんです」
「・・・ここは人も多く、殿が警戒するような者がいないとも限らない。外まで送ろう、知人の方も共に」



 できるだけ人々の視線にが晒されることがないよう、盾になりながらと貂蝉を厩舎の外に出す。
お会いできて良かったです、文遠様。
眩しそうにこちらを眺めるの弾んだ声に、張遼は重々しく頷いた。





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