睨んでも、節穴
丞相府にはおよそ似つかわしくない荒々しい足音と大音声を聞きつけ、諸葛亮の居室へ駆けつける。
着いた頃にはちょうど話も終わったようで、聞くに堪えない捨て台詞を投げつけ大股で去っていく高官とすれ違う。
怒り心頭の相手は降ったばかりの実績なき若造など視界に入っていなかったようで、こちらに目もくれず消えていった。
彼の正体は知っている。
先帝劉備の臨終の際、諸葛亮と共に枕元に呼ばれたという男だ。
随分と気性の激しい人だった。
姜維は不愉快な思いを一旦胸に仕舞うと、難しい表情のまま固まっている諸葛亮の前へ進み出た。
姜維、と驚きを含んだ声で呼ばれる。
ここに現れることに対して期待も予想もしていなかった声だ。
「どうしましたか」
「今の話は事実でしょうか」
「話とは」
「殿は縁談を持ちかけられているのですか?」
「つい先程お断りされたところです」
「そうですか」
良かったと呟くと、諸葛亮が良かったですかと問い返す。
ややきつい口調で尋ねられ、自らの失言にはっとする。
他人の縁談の不調を喜ぶなどありえない愚行だ。
いくら縁談相手が気に入らない家だろうと、断られたの気持ちを考えれば可哀想にと心にも無い感想を口にすべきだった。
姜維は平伏する勢いで諸葛亮に頭を下げた。
「申し訳ございません! 決して殿を愚弄したわけではなく、ですが、私の発言は許されるものではありません・・・!」
「から先に断ったそうです。あの方は、ご自分やご子息が侮られたと思われて抗議にいらしたのですよ」
ふうと大きく息を吐いた諸葛亮が、疲れ切った様子で椅子に腰掛ける。
慌てて水を差し入れると、一気に飲み干す。
よほどの難事に見舞われたようだ。
姜維は失言が許されたかどうかわからないまま、諸葛亮の次の言葉を待った。
最前まで話していたは明らかに様子がおかしかった。
血が通っているのか恐ろしくなってしまうほどに顔は真っ白で、きらきらと輝いているはずの目も曇っていた。
手を握られ動揺して追いかけることができなかったが、まさかこんな事態になっていたとは。
が単身乗り込んで、激高した相手に危害を加えられる可能性もあったのに無茶なことをする。
相手は理由はどうであれ、を妻に望んでいるのだ。
を幽閉して手荒なことをしないとも限らない。
今回はは罵詈雑言を浴びせられるだけで済んだが、やはり諸葛亮が動いている案件に当事者とはいえ、自ら出張る必要はなかった。
彼女を独りにさせてしまった。
何も相談してくれなかった自分は、まだに信用されていないのだーーー。
「安心しましたか、の縁談が潰えて」
「い、いえ、私はその・・・。・・・申し訳ありません、実のところ安堵しました」
「を好いているのですか?」
「いえ、違います」
「歯切れの良い答えなことで」
「殿からは、この手の話とは縁がないと聞いていたのですが」
「全ては私の力不足が招いたことです・・・」
私はあの子を悲しませてしまう、不甲斐ない男ですから。
諸葛亮の沈痛な言葉と表情に、かける言葉が見つからない。
子どころか妻もいない若輩者の赤の他人が気安く慰めることなど、できようはずもない。
姜維は悄然とした様子を隠そうともしない諸葛亮を見下ろした。
丞相ではない、娘の将来を案じ塞ぎ込むただの父親がいた。
相談されていたら、私は何と答えていたのだろう