視線の先で待っていて




 諸葛亮様たちが北伐から帰還する。
聞いていたよりも随分早い戻りで、また何か良くないことがあったのではと不安になる。
初めの北伐では、諸葛亮様はとても辛い決断を迫られた。
天水の麒麟児が新たに加入したから帳尻が合うなんて簡単な話ではない。
今度はみんな無事だといいんだけどな。
私は街から少し離れた丘の巨石の上から、蜀軍が現れるのを待っていた。
諸葛亮様たちがいない間、実は成都でもちょっとした問題が発生した。
あろうことか問題の責任は諸葛亮様に押し付けられようとしていた。
諸葛亮様たちがご飯が食べられなくて飢えているかもと考えたら黙っていられなくて、私も口を挟んでしまった。
だからというわけではないけれど、周囲の人が言う表現を借りれば「襲われた」。
怪我はしていない、なぜなら返り討ちにしたから。



「根に持たれてたんだろうな~。めんどくさ」



 その将は、北伐において兵糧輸送の任務だった。
遠征軍だから糧秣の管理は重要で、だからこそ劉備殿からの信も厚かった彼が抜擢された。
本来なら、真っ当に任をこなしていたのかもしれない。
たまたま時期が悪くて、諸葛亮様が育てている私との縁談を断られて腹が立っていたからかもしれない。
任務不履行の理由はわからないし、どうでもいい。
与えられた任務を行わず、その責任を諸葛亮様に負わせ、進軍を諦めさせるに至った行動に嫌気が差した。
だからたった一言、諸葛亮様のせいじゃないと言った。
その一言で彼の矜持はますます傷つけられたのかもしれない。
生意気な小娘の放言なんて右から左に聞き流せばいいのに、これまでの出来事もあって積もり積もった怒りが爆発したんだろう。
びっくりした。
私は扇げるものならなんでも対応できてしまうんだなと、生まれついた血を恨めしく思った。



殿! 殿!!」
「姜維殿?」



 考えごとをしていた時間が長かったのか、高いところにあったはずの太陽が少しだけ傾いている。
大きな声で名前を呼ばれ、声の主を顧みる。
帰還してそのままの姿の姜維殿が、息を切らせて丘の上まで駆け上がっている。
どうしてこの人はこんなに慌てているんだろう。
待っていれば私はちゃんと帰ってくるのに、もしかしてお迎えに?
岩から飛び降り、駆け上がってくる姜維殿を待つ。
着くなり突然両肩を掴まれ、首ががくんと揺れた。



「おかえりきょ「襲撃を受けたと聞いたが、大事ないか!? ああ、なんという!」
「襲撃ってそんな大げさな」
「髪が焦げている!」
「いや、それは私が」
殿もなぜ1人でいる? 不用心が過ぎる」
「急に怒られてるんだけど、あの、姜維殿、私は別に」
「言い訳は後で聞く。今すぐ丞相の元に戻ろう」



 私を軽々と抱え上げた姜維殿が、遅れて現れた白馬に私を乗せる。
主に忠実な賢い馬の首筋を撫でていると、姜維殿が後ろに乗りゆっくりと歩き出す。
武人とはいえ全速力で走ってきただろう姜維殿の息遣いが私の首と耳元にかかり、むずむずする。
吐息から逃れたくて体を動かすと、動かないようにと釘を差され片手を押さえられる。
こんな光景、姜維殿に恋してる女の子たちに見られたら何度でも襲われそうだ。

 襲撃犯の名誉のために言うと、髪が焦げたのは私のせいだ。
そもそも相手はただの剣で斬りつけていて、炎は纏っていなかった。
斬られると思ったのでたまたま手に届く場所に生えていた大きな葉っぱを引きちぎり、目眩まし代わりに横に凪いだ。
思った以上の威力が出た。
加減なんて知るわけがないから、私の髪もちょっとだけ焦げた。
夕暮れ時のご近所迷惑な光は病身の趙雲様の闘争本能を照らし、鬼の形相で駆けつけた趙雲様は木槍で下手人を串刺しにした。
男が焦げていたのは趙雲様の武勇に依るものということにした。
ちなみに凶器となった葉っぱは焼失したので、完全犯罪も達成だ。
焦げが目立つ部分は削いだつもりなのに、それでも気付く姜維殿は私のどこを見ているんだか。



殿が襲撃されたと一報が入ったときは皆驚いた。無事で本当に良かった」
「心配かけてごめんね。問題は片付きそう?」
「これまでの功績を鑑みて免官、平民に落とすことになったらしい。もう殿に近付くことはないだろうし、我々も絶対に近付かせない」
「断り方が悪かったから恨まれちゃったのかな」
「襲った側が悪いに決まっている。・・・こう言っては悪いが、私は殿の縁談が立ち消えになって安堵していた」
「縁談のこと、知ってたんだ」
「丞相からお聞きした。相談相手も務められない自分が情けない」
「そんなことないって。でも破談になって良かったね。でないと姜維殿お弁当作ってもらえなくなっちゃうもん」
「それは考えていなかった」



 久し振りに食べたいなと、姜維殿が笑いながら話す。
やっぱり遠征先でお腹減らしてたのかな。
ひもじい思いをしていた姜維殿に食べてもらうのは何がいいんだろう。
いきなり豪勢な食事を食べさせるとお腹を壊しちゃうかも。
まずは薄味で、だんだん肉を入れていって、それからそれから。
前の北伐では考えることができなかった「これから」を想像できることに気付く。
おかえりなさいと言いたくて、前も同じように待っていた。
見送る時は寂しくて、帰って来なかったらもっと悲しくて辛い。
陛下が言っていた意味が、今になって心に沁みる。
私はとっくにそれを味わってたんだなあ。



「姜維殿」
「ん?」
「帰ってきてくれてありがと」
「北伐に失敗したから帰還したというのに、殿はおかしなことを言う」



 おかしくたって構わない。
私にとっては、北伐の成功よりも好きな人たちが生きていてくれることの方がよっぽど大切だ。
命を懸けて戦っている諸葛亮様たちには絶対に言えないけれど。
私は、規則正しい呼吸に戻った姜維殿の顔を仰ぎ見た。
顎の裏にこびり付き固まっていた泥を取ってあげると、姜維殿がくすぐったそうに笑った。




「今日は肉が食べたい」「今日は諸葛亮様と月英様と3人で過ごすから作らないよ?」



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