ひとりっきりで独り占め
お世辞にも綺麗とも豪華とも呼べない、鄙びた田舎のそこそこに薄汚れた庵の床に寝転がっている。
これが諸葛亮様が日がな一日見上げていた天井かあ。
そう声を上げると、近くで片付けをしていた月英様が雨の日だけですよと訂正する。
しまった、私ってば諸葛亮様が伏龍だったものだから寝っぱなしだと勘違いしていた。
晴耕雨読という言葉通り、諸葛亮様は雨の日だけここで書物を紐解いていたのだろう。
天井を見ながら書を読み耽るなんて、諸葛亮様はとても器用だと思う。
私なら寝ている。
「邸の中に池があったりして面白いです」
「孔明様は時折釣りも嗜んでいたんですよ」
「そうなんだ! 確かに諸葛亮様、水か魚だから釣りも得意そう」
「はどちらだと思いますか?」
「う〜ん、諸葛亮様はなんでもご自分で動かれるから魚かな~」
釣りが得意なんて聞いたことがなかった。
成都に帰ったら釣りに誘ってみてもいいだろうか。
城外を流れる川には美味しい魚がいて、私や趙雲様の御子息たちはよくそこで小腹を満たしている。
趙雲様直伝の串刺し術を会得している趙兄弟は、釣るより速いと言って目玉を刺して魚を捕る。
おかげで釣竿を用意したことはなく、こちらが火を熾している間に人数分の魚が捕獲されている。
だから釣りは試したことがないんだけど、諸葛亮様とご一緒にぜひ釣りをしてみたい。
諸葛亮様はまだ私に時間を割いてくれるのか、それだけが心配だ。
初めに突き放したのは私なのに、つくづく私は都合がいい。
「月英様は隆中に戻るのはいつぶりですか?」
「劉備殿にお仕えして以来です」
「初めて帰ってきたってことですか?」
「ええ」
「どうして今頃・・・とか訊いてもいいですか?」
「ふふ、構いませんよ。少し、孔明様から離れてみたかったのです。もちろん今もお慕いしていますよ」
「それはわかってますけど、えーっと」
「それに、を独り占めできるのは孔明様がいない今だけですしね」
私は頭が良くないし察しも悪いから、月英様の考えのすべてはわからない。
月英様はとてもお優しい方だ。
縁もゆかりもない赤の他人、しかも放逐された敵将の娘を引き取ってめいっぱいの愛情を注いで育ててくれる心の広い方だ。
他人の子どもにすら優しい月英様だ、愛する夫の一粒種に対しては誰よりも何よりも気を遣い愛情を注いでいるに決まっている。
子の母に気を遣い、夫に気を遣い、そして、相手には気を遣わせないようひっそりと去る。
きっと私の複雑で微妙な感情も踏まえたから、私も一緒に連れ出してくれたのだ。
私は今日も月英様に甘えている。
冷水事件があって、正直なところ成都に居づらかった。
今になって自分の立場を痛感したというか、思い出したというか。
だから、成都から離れられたことに今だけはものすごくほっとしている。
本当に私は甘ったれた性格をしている。
邸に送り届けられた日、転んで泥だらけになったとしゃあしゃあと嘘をついてくれた姜維殿にも甘えてしまった。
私の方が先輩なのに、かっこ悪い。
「ここにはどのくらいいるんですか?」
「しばらく逗留するのも良いかもしれません。畑仕事や邸の修繕、どれもには珍しいことばかりで楽しいと思います」
「やってみたいです! どうせなら諸葛亮様が寂しい〜って迎えに来るまでいたいです!」
「それもいいですね。そうそう、ここにはに食べてもらいたいものがあって、ぜひ一緒に作りましょう」
「作りたいです! 食べたいです!」
諸葛亮様に早く迎えに来てほしいような、しばらくご子息と遊んでいてほしいような。
あれもこれもと指折り数えて今後の予定を示唆する月英様を見上げ、私は勢い良く体を起こした。
孔明様は魚を喪ってしまったのですね