3人寄れば一触即発
追いかけて追いかけて、行き過ぎてしまった。
妻との様子を見てきてほしい、あわよくば連れ戻してほしいと敬愛する師から無理難題を言い渡され、緊張に震える体と逸る心を抑え愛馬に乗って数日間。
せっかくはるばる来たのだからと、目的地をほんの1ヶ所追加した。
「ここがかの有名な石兵八陣か!」
荊州から遥か遠くの天水の地でも、夷陵での蜀と呉の戦の模様は知るところとなっていた。
石兵八陣とやらをどうすれば突破できるのか、見たこともないそれを空想しては臍を噛んでいた。
姜維は天高くそびえ立ち視界を阻む石柱を見上げ、ほうと息を吐いた。
ついに現地を訪ねることができた。
戦いを終えた地は今では名所となっているのか、先客たちの車も隅に置かれている。
よほどの貴族か名家の車か、立派な装飾が施されている。
難攻不落の陣を突破したのは呉の陸遜という将と聞く。
ひょっとしたら、孫呉の子弟たちの間では戦勝の地として巡察先に組み込まれているのかもしれない。
当時は蜀に与していなかったとはいえ、同盟国としては複雑な気分になる。
も訪ねているのだろうか。
彼女もまた諸葛亮が大好きな人なので、名所として訪ねていてもおかしくはない。
きっと無邪気に諸葛亮様すごーいと伸びやかに感嘆の声を上げると思う。
すごーいと手放しで称賛されたことがないので、実はほんの少し羨んでいる。
誰と比べるわけではないが、はこちらに厳しいと思う。
「わーすごーい高ーい」
「ええ、すごいと思います」
「ここどうやって突破したんですか?」
「孫呉の将兵の知勇を結集したんですよ」
「ふ~ん」
「おやおや、孫呉にはあまり興味ありませんか?」
「孫呉に知り合いはいないので・・・」
石柱の影から2人の男女の声が聞こえてくる。
丁寧に戦の経緯を説明しおそらくは彼なりの攻略法を伝授している男と、聞いているのかいないのか、雑な所感でまとめている女の声だ。
なるほど、ここは歴史の学び場としてではなく逢瀬の場としても活躍しているらしい。
都から離れ、死角が多い地で人目を忍んで育む愛は燃え上がるだろう。
姜維は男女の会話に耳を傾けた。
気乗りしないのか、女の言葉はどこまでも素っ気ない。
まるで最近ののようだ。
殿、と男が名を呼ぶ。
はぁいと間延びした声で返事をする声はまさしく聞き慣れたのものだ。
まさか、他国の男と逢瀬を交わしているのは?
交わされているのは?
無理やり2人きりにさせられているのは!?
姜維は声の主を探した。
見通しが悪い地形がの姿を隠している。
このままではがどこの馬の骨ともわからない、孫呉のぬるま風で育てられた頭でっかちの優男に奪われてしまう。
連れ戻してこいと諸葛亮は言った。
何をしてでも連れ戻さなければ。
姜維はすうと息を吸うと、勢いよく声を吐き出した。
「殿!!」
「・・・え? 私?」
「呼ばれていますね」
「殿! どこにいる!」
「どなたですか? まさかとは思いますが、私に内密で供を連れていましたか?」
「同盟国に対してさすがにそんな無作法はできません」
「ではあの声は? お知り合いですか?」
「知り合いですね・・・」
困ったなあと前方からの弱りきった声が聞こえる。
現場は近い、はまだ無事だ。
姜維は眼前の石柱をぐるりと回った。
困り顔のと、見たことがない男の視線が同時に注がれる。
やっぱり姜維殿だったと呟くの淡々とした言葉を受け止め、姜維は男を見下ろした。
に熱を上げるには少々年嵩に見えるが、男には自らの年齢に関係なく若い娘を好む類もいる。
あのうと声を上げたを制すと、姜維は口を開いた。
「殿を単身連れ出すとは感心しない。同盟国とはいえ、些か配慮が足りないのではないか?」
「諸葛亮殿の奥方と殿ご自身の許可を得ての交流ですが。そちらこそ、孫呉の領内で何を?」
「私は丞相の命を受け「ここは孫呉の領内と聞こえませんでしたか?」
「姜維殿」
なおも言い募ろうとした直前、が冷ややかな声で名を呼ぶ。
終始朗らかなの、聞いたこともない声音に体が固まる。
怒っているのか呆れているのか、を顧みるが彼女と視線が交わることはない。
男との間に割って入っていた体を押しのけ、が男の前に進み出る。
めんどくさ、との口元が言葉にならずとも僅かに動いたように見えた。
「他意はないのです、これは本当に。お目溢ししていただけませんか? 彼は姜維殿、諸葛亮様の本物の秘蔵っ子です」
「構いませんよ。ですが、あなたの短慮はいただけません。今回は殿に免じて許しますが、今後は自重された方がよろしいかと」
「・・・ご忠告しかと受け止めました」
「よろしい。さて、では帰りましょうか。殿も退屈していたようですし」
「え~、してたかな~?」
「ふふ、隠さなくても構いませんよ。国が背後にいるとはいえ、私みたいなおっさんの相手は疲れるに決まっています」
「「おっさん」」
「私もついに呂蒙殿と同じ立場になったのかと思うと感慨深いものがあります。ええ、短慮は本当に良くない、私も若い頃は・・・」
神妙な面持ちだったが、隠すことなく困り顔を浮かべている。
無礼で無作法なのはも同様と思うのだが、男はには優しい。
姜維は出口に向かって歩き始めた男の背を見つめた。
無防備な背中を、に強く叩かれた。
私のこと、若い娘に熱を上げる見境のないおっさんだと思ったでしょう