みんな独りぼっち
土地勘も何もなければ味方もいない、他国の入り組んだ隘路はなかなかに手強かった。
どんなに噛み砕いて話してもらってもほとんど理解が及ばない戦術論を聞かされ、頭が沸騰するかと思った。
陸遜殿は陸遜殿なりに気を遣い、無言になる時間が生まれないよう文字通り言葉を尽くしてくれたんだと思う。
お互いに気疲れしていた。
私が興味を持ったのは諸葛亮様が作った石兵八陣であって、攻略法なんてどうでもよかった。
いっそ突破なんてされなければ良かったのにとすら思っている私なのだ。
にこにこ笑顔ですごーいと言えたことにびっくりしている。
私は、姜維殿が操る馬上で過ぎ去った忍耐の時間を思い出していた。
「あの方が陸遜殿だったのか!」
「知らなかったの?」
「お会いしたことがないからわからないに決まっている! そうか、彼が・・・」
「思ってるのと違った? もっとしゅっとした怜悧な切れ者と思った?」
「そういうわけではないが、丞相の策を破るほどの策士と聞いていたので、司馬懿のような油断ならない狡猾な男だと想像していた」
「一応は上司だった人なのに酷い言いよう・・・」
男が陸遜殿と知っていたら、姜維殿はお行儀よく振る舞っていたと思う。
姜維殿が慌てん坊で良かった。
あの時の私に必要だったのは品行方正と成都で持て囃される余所行きの姜維殿ではなくて、自分の都合が良いようにしか解釈しないいつもの姜維殿だった。
おかげで私は陸遜殿とのお互いにぎこちない接待から脱出し、今はこうして隆中に向かっている。
私にとってはもちろん、陸遜殿にとっても不毛な時間だった。
両国の親善を図るのなら、事前に根回しとかしてもっと効率よく進めた方がいいと思う。
陸遜殿におっさん呼ばわりさせてしまったし。
陸遜殿は満更でもない顔をしてたけど。
あの人は若い女の子ではなくておじさんが好きなんだろうか。
おじさんもいいと思う、私も趙雲様が大好きだった。
「そもそも姜維殿は何しに来たの?」
「丞相から、月英殿と殿の様子を見てきてほしいと命を受けた」
「それで私を探しに」
「・・・そうだ」
「でも陸遜殿に連れてかれたってのは知らなかったんだ」
「そ、それは! ・・・すまない、実は隆中に寄るより先ににここを訪ねてしまった。丞相の神算の足跡を辿るのは丞相のお傍に仕える者にとっては当然ではないかと思い、居ても立ってもいられなくなり!」
「わかるわかる! 私も諸葛亮様が作った陣なら見たいって好奇心が勝っちゃって陸遜殿のお誘いに乗ったんだけど、まあ、つまんなかった」
「確かに退屈そうな声が聞こえた」
「でしょ。だから姜維が来てくれて助かっちゃった。ありがとう」
私でお役に立てるならと意気込んではみたけど、やっぱり私には国家間の親善は荷が重かった。
諸葛亮様は何も悪くないどころかとってもすごいのに、石兵八陣が私の中ではがっかり名所になってしまった。
早く隆中に帰って、月英様が作る美味しい饂飩を頬張りたい。
そうだ、せっかくだから姜維殿と一緒に釣りもしよう。
姜維殿も今日明日くらいは逗留するだろうし、諸葛亮様がやってたよと言えば姜維殿は何だって付き合うはずだ。
そういえば姜維殿とは釣りをしたことがない。
すぐにできるはずの釣りをしないで、一緒に建業に行ったり温泉に行ったりする関係はどうなんだろう。
今度諸葛亮様に訊いてみよう。
「成都にはまだ戻らないのか?」
「来たばっかりだし、月英様ものんびりできて楽しそうにしてるよ」
「丞相はお寂しくされている。ご自邸にも戻らず、ずっと丞相府で寝起きされている」
「ご子息と一緒にいるんじゃないの?」
「私には妻も子もいないので家族との関係は推し量りかねる部分が多いが・・・。丞相はご家族と離れていてかなり堪えている」
「月英様と?」
「月英殿と殿とだ。実のところ、私も寂しいと思っている」
「丞相府で諸葛亮様と長いお時間いられるのに?」
「・・・殿がいないから寂しいと言っている。その、だな、張り合いがないという意味で!」
戻ってきてほしい、できるだけ早く。
馬上の姜維殿がぼそぼそと呟く。
顔を伏せたのか、姜維殿の髪が私の耳に触れ擽ったくて笑いそうになる。
今は笑っちゃだめだ、我慢我慢。
諸葛亮様も我慢してるのかなあ。
私の独り言に、姜維殿がみんな同じですと答えた。
「孫呉に行かなくてよかった~!」「行く予定があったのか?」「あったみたい」