私の隣に立たないで
手元にぬっと影が現れる。
書簡の文字を丁寧になぞっていた視線を止め、顔を上げる。
殿と親しげに名を呼ばれはするけど、私はこの人とはほとんど面識がない。
関わらないようにしているからだ。
「殿、今よろしいですか?」
「よろしくないかな・・・」
「はは、手厳しい」
促してもいないのに向かいに座ってくる男は、先頃の戦いで蜀に降った武将だ。
蜀の主だった高官に早く名を覚えて欲しいのか、呼んでもいないし仕事もないのに政庁によく現れる。
そこそこの地位にいて、仲良くしてくれそうな人を探しては声をかけている。
でも蜀の文武百官は皆さん有能だから、彼の薄絹のように透けて見える欲を察して多くを語ろうとしない。
顔がいいから、女官とは仲良くなれていると思う。
私の好きな顔立ちじゃないから、真正面で微笑まれても何も響かない。
そもそも、断りもなく2人きりの時に向かいに座られるのがあまり好きではない。
そこは姜維殿と、もっと昔は馬謖殿の定位置だった。
「数日後、宮中で宴が催されると聞き及びまして」
「そうですか」
「殿も出席のご予定ですか?」
「呼ばれているので一応」
「では、私もご一緒してもよろしいでしょうか」
「えー・・・」
急に宴に行きたくなくなってしまった。
たまにはおいでと陛下と星彩殿から呼ばれて楽しみにしていたのに、面倒だと思ってしまった。
誰かと連れ立って行く予定はなく、いつものように末席から賑やかな宴を眺めるつもりだった。
この人と一緒にいたら、きっと私はどんどん上座へ連れて行かれる。
手駒にされる。
ここは断るの一択だ。
私は、目の前で何が楽しいのかにこにこと笑みを絶やさない男の目を見据えた。
目の奥が笑っていない。
嫌だなと、根拠はないけど彼自身を拒絶している。
「申し訳ないんですけど、私はひっそりしてたいので1人で行きます」
「お邪魔にはならないようにするので、ぜひに」
「1人が好きなので」
「私も大抵独りなので、殿とは気が合いますね」
「・・・めんどくさ」
お話にならない。
関わってもろくなことがない。
普段なら絶対にしないけど、今日ばっかりは諸葛亮様も月英様も許してくれると思う。
私は無言で立ち上がると男を見下ろした。
もうあなたとは話すことはありません。
それだけ言い残して部屋を出て、大きく息を吐く。
どうしてあんな不気味な人を蜀に迎え入れちゃったんだろう。
いくら人材難とはいえ、人が来るなら誰でもいいなんて、そんなわけないのに。
政庁を離れ少し歩き、立ち止まる。
大丈夫、気まずくはない。
私は足の向きを変えると、再び歩き始めた。
これが巣食おうとするのを止めないと