お隣さんの囁き声
姜維殿に会いに来たはずなのに美女と相対している。
監視も兼ねて手元に置いているんだと思うけど、それにしては寛いだ様子でいる。
姜維殿の交友関係が広くなってなによりだ。
私は、自らを邸の女主人と思い込んでいる女に姜維殿への取次を申し出た。
彼女のことは魏から降った兵としか知らないけど、味方なら敵対する必要がないので事を荒立てるつもりはない。
「姜維様はご多忙です」
「この時間に?」
「私が代わりにお話をお伺いしましょう」
「あなたが聞いて気分が良くなる話ではないんで、姜維殿に話したいですけど」
「ご安心ください。一言一句、姜維様にお伝えするとお約束いたします」
「どうしても会わせたくないってことですか?」
「姜維様は、殿にはお会いしたくないのではないのかしら・・・」
「過ぎたことを気にするほど姜維殿は小さくないでしょ。もっと主のこと信じてあげたら?」
美女の整った顔がわずかに歪む。
私と姜維殿が立ち話をしたところで、今更何の関係も変わらない。
良くなることも悪くなることも、話を受け入れるかどうかすら定かでないのだから彼女が気を揉む必要はない。
姜維殿は誠実な人だから、蜀に来たばかりで他に頼る先もない降将の面倒はきちんと見てくれる。
かつて諸葛亮様が姜維殿にそうしていたのだから、姜維殿はできるはずだ。
だから、無位無官の私に警戒や嫉妬なんてしなくていい。
かわいい人だ。
感情に絆されて、そんな生ぬるい気持ちでいて、魏からの密命を果たせる?
言ってはいけない本音が口から飛び出そうになり、慌てて口を閉じる。
それすら彼女の術中だとしたら大したものだけど、姜維殿は彼女よりも大した男だ。
何もかも泳がせて、今は彼女の好きなようにさせているはずだ。
怪しい素振りがあればすぐに首を斬り落とす、そのくらいの気概と人を見る目が姜維殿にはある。
「私は姜維様のお考えをすべて理解していると自負しております。私の判断は即ち、姜維様の判断と同じこと」
「なるほどね~、じゃあ姜維殿にお伝え下さい。この頃魏より降ってきた武将が、宮中で高官に近付こうと行動が活発的になっています。何もなければいいんだけど、何かあったら困るので身辺にはくれぐれも用心してください」
「ひどい! 殿は味方をお疑いに?」
「・・・と、姜維殿も同様に思ってるってこと?」
「・・・」
「どう報告するかはお任せします、じゃあ」
女はきっと、伝えはすると思う。
どのように伝えて、姜維殿がどう受け取るのかはわからない。
私がやれることはやった。
味方を疑うなんてと詰られたが、非難されることをわかった上で動いているので想定通りの反応だった。
むしろ、積極的に協力してくれた方が困ったかもしれない。
この子はもしかして本当に帰順したのかなと、私の勘が外れてしまうから。
恨まれる役回りは面倒だなあ。
姜維殿の邸の奥から人影が動いたのを視界の隅で確認し、私は独り言を呟いた。
独り言にしては、声を大きくした気がした。
今、いたな