先輩風は気まぐれに吹く
随分と物々しい甘味処だ。
そこら中に宮殿で見かけた孫呉の将軍たちがいる。
店の隅では風体の悪い男たちが姐御姐御と腰を低くしてペコペコしていて、治安が良いのか悪いのかさっぱりわからない。
私は、練師殿に書いてもらった地図をもう一度見つめた。
姜維殿にも確認してもらったけど、場所はここで合っているらしい。
「殿、あまり離れないように」
「ん」
「それ美味しいですか? 不気味な色をしているが・・・」
「半分食べる?」
引きつった顔の姜維殿に味を伝えたくて、肉まんの綺麗な部分をちぎり姜維殿の前に差し出す。
手で受け取ってくれるとばかり思っていた一口分の肉まんを、姜維殿が口で受け止める。
指ごと食べられてしまうのではと、私としたことが腰が引けてしまった。
姜維殿って意外とお行儀悪いんだな、ちょっと残念。
私はお裾分けの肉まんを堪能している姜維殿の口元を見つめた。
「これは葡萄ですね、見たことがある」
「あるんだ」
「天水は西との交易の要衝だったので、洛陽や長安に献上されるのを管理したことがある」
「食べたことあったの?」
「一度だけ、こっそりと。本来は下々の者が口に入れるような安価なものではないのだが、なぜこのような地で夏の葡萄祭りなど・・・」
「川があるからじゃない? ほら、江陵あたりからどんぶらこどんぶらこ」
「・・・・・・」
「なに、そんなにじっと見て。姜維殿だんだんおかしくなってない?」
砂浜で遊んで以来、姜維殿が少し変わった。
やたらと凝視してくるわ寄り添ってくるわ、どうやら私の行動が信用できないとみた。
そりゃ四阿から勝手に出ていったのは悪いと思ってるけど、この地に蜀の人間はたった2人しかいないのだ。
もう少し相手を信じてほしい。
私だってここぞという時にはきっと何かの役に立つのだ。
ここぞっていつだろう、どこだろう。
ここではない気がする。
「殿の口からそのような答えが得られるとは、私は殿を見くびっていたようだ」
「どさくさに紛れて私のこと馬鹿にしてたって認めたよね、今」
「・・・否定はしない」
「えー酷くない? 私だってちょっとは勉強したんだよ」
「すごいすごい」
姜維殿に今もまた馬鹿にされた。
天水の麒麟児とも呼ばれた地元で一番の器量良しに比べたら、私の勉強なんて勉強のうちにも入らないだろう。
でも本当にがんばったのだ。
諸葛亮様たちには捨てられないように、幻滅されないように、褒めてもらえるように一応ちゃんと勉強したのだ。
だから渋々ながらもきちんと孫権殿の前でご挨拶できた。
諸葛亮様はきっとえらいですねと褒めてくれる、頭もたぶん撫でてくれる。
私はやればできる子なのだ。
「今回の孫呉訪問を通して、殿のことを少し知ることができた気がする」
「ふーん」
「殿のおかげで私も貴重な経験を積むことができました」
「天水にも海ないもんね」
「殿はどうして我儘を通さなかったのですか? 孫権殿との接見など断っても良かったというのに」
「姜維殿が一緒に行こうと言ってくれたから」
「私が?」
「ひとりじゃ寂しいでしょ? 蜀にも来て間もない姜維殿が、味方がもっといない呉でひとりでいるなんて怖すぎるでしょ」
優しくて面倒見が良い先輩だからねと言って胸を張ると、姜維殿が小さく笑う。
もしかしたら姜維殿は本当に不安だったのかもしれない。
だからいろんなことをたくさん調べて準備して、はて、姜維殿の目的はどのくらい達成できているのだろう。
私は、行きの道中で覗き見た姜維殿お手製の旅程表の内容を思い出した。
綺麗な海、美味しい甘味処、あとなんだっけ。
私の旅行に姜維殿が勝手についてきただけなので気にしてあげる義理はないんだけど、私は優しい先輩なので一応気にかけてあげることにした。
宿まで手配してくれている姜維殿にはさすがに報いておかないと、帰った時諸葛亮様になんて報告されるかわかったものではない。
終始我儘三昧でしたなんて言われたら困る。
「で姜維殿、私の部屋はどこ?」
「ここです」
「姜維殿は?」
「ここです。万全を期したつもりですが、やはり他国で殿をひとりにさせておくのは不安なので」
「私ってそんなに色気ない? え? は?」
「そういった輩が入り込んでくる可能性もあるので・・・。殿も見たでしょう、甘味処に出入りしていた風体の悪い男たちを」
「話してみたけどいい人だったよ?」
「なぜそのような無謀な真似を・・・。殿は自分の立場がわかっているのか?」
まーた始まった。
座って下さいとたったひとつしかない寝台を指し示され、渋々腰を下ろす。
私は健やかな生活を送るように育てられているから、寝台に座ると眠るように体ができている。
姜維殿の「私を思って」という枕詞をつけただけのお説教が子守唄のように耳に響く。
砂浜で貝殻を耳に当てていた時よりも、その声は心地良い。
たくさん歩いてたくさん食べて、実はたくさん緊張した。
孫呉の人たちはずっと前のめりで交流したがる気質らしく、友だちが多い私ですら気疲れした。
そっけない態度を取るわけにもいかないからニコニコと笑ってみたけれど、作り笑いは非常に体力を使う。
国が変われば人も変わりますものねと、風体悪い集団の姐御に同情されたのが異質だったくらいだ。
姜維殿も相変わらず場所を問わず私を糾弾するし、一度くらい頭を撫でるなりして疲れた私を癒やしてくれてもいいではないか。
「もう寝る~眠い~寝ようよ~~」
「殿、話はまだ終わりませんが」
「・・・よっ!」
「うわっ」
寝転がった私を起こそうと中腰になった姜維殿の腕を、起き上がるなり思いきり引っ張る。
完全に油断していたらしい姜維殿も寝台に突っ伏し、珍しい姿に顔がにやける。
私は、顔から寝台に突っ込んだままの無防備な姜維殿の背中をとんとんと叩いた。
「おつかれさま、姜維殿。でもっておやすみなさい」
私と同じくらい姜維殿も疲れてるだろうから、姜維殿も今日はこのあたりにした方がいい。
最後のお説教以外は概ねいい旅だった。
私は姜維殿の背中に片手を置いたまま、眠気に抗わず目を閉じた。
「へえ、魏から。俺の奥さんも昔は魏に住んでたんだよ」「夏侯覇殿の話は事実だったのか・・・?」「戦火を逃れてきた人が多かったって諸葛亮様が言ってた!」「お嬢さん詳しいねえ。あの日はよく燃えてたからね」