妹分の蕩けるレシピ




 見送った時よりもほんの少し日焼けしたが、月英と並んで厨房に立っている。
こうだったかな、すごく甘くて熱かったと月英に語りかけながら手を動かしているの表情は思ったよりも真剣だ。
もっと穏やかな気持ちで料理に挑めば良いのではと進言しようとして、諸葛亮は厨房入口の柱を離れ踵を返した。
諸葛亮様には内緒にしてねとが弾んだ声で言ったからだ。
後で供されるものであれば、今は知らないままでいた方がいい。
大丈夫、軍師たるもの素知らぬふりも無表情も慣れている。


「諸葛亮様、お別れする前よりも細くなってたかも。お体悪いのかな」
「政務にかかりきりでお昼を取ることも忘れる日が多かったようです。私も虎戦車の改良で日が沈むまで研究所に籠もりきりで孔明様の様子に気付けず、我ながら情けない限りです」
「みんな忙しいから仕方ないんだろうけど、ご飯食べてほしいです。あ、そうだ! これからは諸葛亮様のとこでお昼一緒に食べようかな」
「それは良い考えと思います。孔明様もきっとお喜びになるでしょう」
「だといいんですけど! よーしできた、確かこんな味だった気がします! 南蛮で祝融殿に作ってもらったおやつが美味しくて、でも成都でも食べられるなんて嬉しい~!」
の喜ぶ顔が見られて私も嬉しいです」



 きっと諸葛亮に渡すのだろう。
そう思い皿と盆を用意していた月英は、そそくさと布袋にお菓子を詰め始めたを見つめ首を傾げた。
内緒と言っていたので、夫に差し入れするとばかり思っていた。
甘いものを好まない夫だが、手製の料理となれば話は別だ。
好きな食べ物は妻との手料理ですと宴席でも豪語する彼ならば、たとえそれが泥の味がしようと美味しくいただくはずだ。
作業中にちらりと視界に入った夫の顔はとても緩んでいた。
可愛い可愛いが自分に内緒で新作料理を作り、振る舞おうとしていると思い込んでいる顔だった。
現にこちらもそう思っていた。
だが、は布袋にちょっぴり洒落た色紐なんて括り付けている。
内緒ってもしかして、そっちのこと?
えへへといつものように愛らしく笑うに微笑みながら、月英は布袋の行方を尋ねた。



「それはどなたに? 孔明様ではありませんよね?」
「だって諸葛亮様は甘いの得意じゃないから・・・」
「確かに孔明様はあまり好まれませんが、が作ればなんでもお食べになります」
「うーん、でも・・・。今日は他の人にあげたくて」
「趙雲殿ですか?」
「ううん、違います」



 そろそろ行ってきますと袋を抱え邸を出たの背中を見送る。
私でも趙雲殿でもない誰かとは、誰のことやら。
いつの間にやら隣に並んでいた諸葛亮の横顔に、月英はふふと吹き出した。
気になるのであれば後を追えばと言うと、それはできないと渋い顔で返される。
の交友関係は気になるが、深入りしては彼女に嫌われるかもしれない。
が胡乱な連中と付き合わないようにと目と気と殺気を配っているのは自分だけではない。
もし彼女が碌でもない男と親しくなるようであれば、必ず誰かしらから通報されるようになっている。
南蛮の地から成都に戻るまでに何かあったのだろうか。
関興に彼女の近況を尋ね、場合によっては何らかの措置を取らなければならない。
この時間であれば、彼らは鍛錬を終え休息しているはずだ。
が去った後をそそくさと追う諸葛亮を、月英は笑顔で見送った。






















 関興殿と弾んだ声で呼び止められ、汗を拭っていた手を止める。
木陰からひらひらと手を振っているのは、つい先日南蛮から帰ってきたばかりのだ。
呼ばれてもいないのに張苞がおーいとに声をかけ手招きし、兄の声を聞きつけた星彩が勢いよく顔を上げる。
名指しで呼ばれたのは自分なのに、ここまで何もしていない。
張兄妹に促されるままに散らかった卓に案内されたは、にこにこと笑顔を浮かべたまま関興殿と再び名を呼んだ。



「あのね関興殿、できたんです」
「・・・何を?」
「えっ、覚えてないんですか」
「関興殿。できた、とは何を」
殿、すまないがもう少し、いや、かなり詳しく、省略せずに特に星彩にも納得してもらえるように話してほしい」
「えっ急にすごい難しい! えーっと、ほらこの間、南蛮に行ったとき祝融殿に美味しいおやつ作ってもらったじゃないですか。それでみんなにも食べてほしいね~って話してたから、私、それ作ってきました」
「びっくりした! 俺てっきり関興に限ってって」
「あのう、張苞殿は何にびっくりしたんです?」
「兄上のは独り言だから気にしないで、殿」



 星彩に睨まれた張苞が肩を竦めている。
星彩が何もしなければこちらが叱責していた。
関興は周囲の剣呑さに気付くことなく、いそいそと袋の中身を取り出しているの手元を見つめた。
虫に刺されたり象に乗ったり珍味を堪能したりと、にとって南蛮の旅は刺激的なものばかりだったらしい。
がんばってみたと自画自賛する手製の料理は、確かに南蛮で振る舞われたものによく似ている。
帰りの荷物がやたら多いと思っていたが、食材をいくつか持ち帰っていたのかもしれない。
食べて食べてとせっつかれ、にじぃと見つめられながら一口齧る。
美味しすぎないか?
無意識のうちに本音が飛び出て顔が綻んでいたのか、正面のの表情がますます明るくなり関興はふっと笑みを浮かべた。



「美味しい。殿は料理が得意なんだな」
「えへへ、褒められちゃった! 月英殿と一緒に作ってみたんですけど、関興殿に一番に食べてほしくて!」
「諸葛亮殿ではなく、私に?」
「はい、一番お世話になったの関興殿なので! あのね、関興殿お兄さんみたいにすごく優しくてね、すごく楽しかったんです」
「へえ、そうなのか。俺より先に殿にお兄さんって言われたのか。やばい、ちょっと悔しいかもしれない」
殿、その、私は」
「星彩殿は優しいお姉さんです! 大好き!」
殿、美味しいものをありがとう。殿は立派な大人になれると思う」
「ほんとに? やったー! これからも関興殿に一番に食べてもらお!」
「・・・そうだな、私より他に食べてほしい人が出てくるまではその大任、私が務めよう」



 食べてほしい人にすんなり譲るつもりもないのだけれど。
皆さんも食べて食べ差し入れを張苞たちに勧めるの笑顔は、食べたお菓子よりも甘かった。




「誰の嫁さんになるんだろうなあ」「ここにいる私たち全員を倒した人です」「ははっ、違いない」



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