南蛮から枕元まで
部屋の外から、関興殿と控えめに呼びかけるの声が聞こえる。
声とともにほんのりと香ってくるのは、最近よく食べる粥の匂いだ。
はなんでも作ることができる。
甘いものも固いものも辛いものも酒の肴も、死の床に就いた人へ食べさせる料理すら上手に作る。
本当はもっと楽しく作りがいのあるものを作ってほしいし、食べたい。
それができなくなったのは自分の身体のせいだ。
関興は器を抱え枕元にやって来たに笑みを向けた。
向ける笑顔も昔に比べると弱々しくなった気がする。
そうだと自分自身でもわかっているのに、は遠い昔、南蛮の地の象の背で見せた時と変わらない晴れやかな笑顔を見せてくれる。
彼女の心根の優しさはどんな料理よりも温かい。
「今日はお天気も良いですよ。戸、ちょっと開けましょうか？」
「ありがとう殿。関索たちは鍛錬だろうか」
「はい！ お出汁は同じの使ったので皆さんお揃いです」
「それは嬉しい。だが、それでは姜維殿の食が進まないのでは？」
「食べれるように姜維殿の舌を鍛えたので問題ないです」
「ははは、姜維殿も殿の前では形無しだな」
ゆっくりと体を起こし、から粥を受け取る。
冷まさずともすぐに食べられる程良い温かさが身体に染み渡る。
私もご飯食べていいですかと、がいそいそと自前の弁当を取り出す。
一緒に食べると美味しいですねと、満面の笑みで煮物を頬張るの口元についた汁を拭ってやる。
小さな声で細いと呟かれ、思わず指が止まる。
心配させまいとしていたのに、もいよいよ見過ごすことができなくなったのだろう。
正論でしかない失言に顔色を変えたが、慌てて両手を握る。
ゆっくりと撫で、擦り、やがてまたぽそりと悲しげに言葉が零れ落ちた。
「すまない殿。もうあまり食べられない」
「もっと食べやすい料理に変えます。何なら食べられますか？ どんな感じなら」
「違うんだ殿。食べたくとも食べられなくなってしまった」
「・・・」
「今までいろいろな、たくさんの種類の殿の手料理を誰よりも先に食べてきた自負がある。この一点だけは諸葛亮殿を凌いでいると思ったことさえある」
「一緒に南蛮に行ったときからずっと、いつも一番に関興殿に食べてきてもらったからたぶんそうです」
「それは嬉しい」
この記録は遠からず破られるだろう。
大好きなの料理ですら受け付けることができなくなった身体は、そう遠くないうちに朽ち果ててしまう。
関興は、静かに食事を片付けているの背中を見つめた。
手伝うことができない自由の利かない身体が憎い。
ふんふんと鼻歌を歌っていたが、外から差し込む陽の眩しさに目を細め天を仰いでいる。
追いかけることができないほどひどく離れたところにがいるような気がする。
象の背の上でぴたりとくっついていた可愛い妹分の背中は、もう遠い。
これからの彼女が何も喪いませんように